わたしが防災に本気で取り組むキッカケはあの日の出来事。
9月1日。
この日は何の日かご存知でしょうか?
まだあまり知られていないかもしれませんが、9月1日は防災の日です。「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」ことを目的として制定された防災啓発デーです。今後、毎年、この「防災の日」である9月1日を中心として「防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事」が実施されるとともに、「防災の日」を含む1週間を防災週間として、様々な国民運動が行われることになります。
そこで私も、気になっていた防災グッズをテストしてみることにしました。今回テストしたのは、「非常用トイレセット」。
結論から申し上げると「やり方は簡単で、備えとして持っているだけで安心」です。
やり方は写真にもありますが、バケツまたは段ボールに、このセット内に含まれているビニールを被せて、凝固剤を入れるだけ。
今回は防災LABさんから出ている非常用トイレセットを試してみました。
テストするために用意したのは、バケツとセット内に含まれているビニール袋、そして凝固剤だけです。
バケツに袋を取り付け、中に凝固剤を入れます。凝固剤の中には活性炭が含まれており、匂い対策も。
今回は尿の代わりに、ペットボトル半分250cc程度を注いでみました。
凝固剤と水が混じり、みるみる様子が変化していきます。
ほんの数秒後には、ゼリー状に。
あとは、袋を閉じて燃えるゴミに捨てるだけです。
本当に簡単ですね。便と尿の両方で使え、もちろん男女兼用です。凝固スピードも早く(数秒でゼリー状に)、また活性炭が脱臭力を発揮してくれるとのことで、使用後の処理も、燃えるゴミに捨てるだけ。捨てた後の匂いの漏れなどはテストできませんでしたが、袋を2重にするなどで対処できそうな気がします。
安心して暮らすためにも、いざという時の備えは多い方がいいですよね。非常時に行政ができることは限られますので、非常時にいかに個人が自助や共助を考えられるかが重要だと思います。
東日本大震災と長男と防災と
なお、唐突かつ私ごとなのですが、9月1日は私の長男の誕生日です。
「お前の長男の誕生日と防災になんの関係があるんだ」という声も聞こえてきそうですが、実は長男こそが、私の防災に対する意識を大きく変えてくれた人物なのです。そのエピソードを少しご紹介します。
時は2011年3月11日。そう、東日本大震災が起きた日ですね。
当時、長男は久喜市立栗橋南小学校に通う3年生。ほんの数日前にサッカーの練習中に足を骨折して、車椅子生活を始めたばかりでした。
慣れない車椅子に、学校への登下校は妻が送り迎えをし、着替えたり、お風呂に入ったりといった日常生活すらままならなくなり、サポートが大変だったという記憶があります。
東日本大震災が発生した時、私はセブンイレブン本社での打ち合わせを前に、四ツ谷交差点の角にあったカフェで遅い昼食をとっていました。ゴーっという地鳴りのような音が聞こえたきたかと思うと、揺れが始まります。揺れが次第に大きくなっていくのを感じ、「これはタダごとじゃない」と感じ、食べていたパンを口にするのをやめました。何かが起きているのを察し、訳もわからず外に飛び出しました。四ツ谷交差点の上空を見上げてみると、交差点の角にそびえ立つビル群が一様にグネッと曲がったように揺れていて、屋上に設置されている看板はガタガタと大きな音を立てていました。空は大きく歪み、この世の終わりってこうものなのかもしれないと感じたほどでした。上空から何かが降ってくる危険を感じ、また、まるで世紀末を描く映画のワンシーンのなかにいるような感覚に陥りましたが、すぐに我にかえり、妻に電話をかけます。
「ツーッ、ツーッ、ツーッ。」
もちろん、つながりませんでした。頭をぐるぐると回転させましたが、このまま立ち止まっていても仕方ないので、まずはセブンイレブン本社にいくことにしました。余震が続き、担当の人たちと一緒に机の下に隠れたり、部下や家族の安全を確認するために電話をかけたりしていました。そして夕方になってようやく妻と連絡が取れました。家族の無事を確認できた時は少し安心しましたが、電話口で、「学校でちょっとした出来事があった」と妻がいうのです。しかし非常時ですので、携帯電話の充電のことなども考え、一旦電話を切りました。結局その日は帰宅することはできず、好意で受け入れてくれた四ツ谷にあるホテルのロビーで、見知らぬ方たちと一晩を明かしました。そして翌日に帰宅して妻から話を聞くと、長男の避難の際にトラブルがあって長男が逃げ遅れていたということでした。
妻から詳細を聞きました。
地震が起きた当日は、地震が起きてしばらくしてから学校から連絡が入り、各家庭にお迎えにくるように案内があったそうです。妻が急いで仕事を切り上げて長男を迎えにいきました。しかし、全校生徒が避難しているはずの校庭に、長男の姿はありませんでした。
妻は「まさか」と顔が青ざめたそうです。
そしてすぐに教室に駆けつけてみると、車椅子に座ったままの長男が、教室の隅で一人ですすり泣いていたのです。震度5以上の余震が何度も続く中、動けない子どもが何時間も一人で教室に取り残されていたというわけです。
わたしはその話を聞いたとき、我が子ながら本当に可哀想なことを経験させてしまったと後悔しました。そしてやり場のない感情が、学校の対応への憤りに変わっていくのを感じました。しかし、「いや、そうじゃない」とすぐに冷静になります。「俺だって妻の話を聞くまでは、長男がみんなと一緒に、普通に避難していることを全く疑っていなかったじゃないか」と。
この時わたしは、いかに車椅子で生活をしている人のことを想像できていなかったかを痛感しました。本当に申し訳なかったと。
この出来事が起きてから、わたしは車椅子ユーザの生活を少しでも自分ごとにしたいと思うようになりました。そして自然災害が起きた時にどんな行動を取るのかを、車椅子を使っている周囲の友人に聞いて回るようになりました。
あれから10年以上の時が流れましたが、すでに世の中は高齢化が進み、自分一人では避難行動が取れない人もさらに増えています。
いざというとき、自分の命を守るために、どんな行動が取れるでしょうか?
自分にとって大切な人を守るためにどんなことができるか、想像できていますでしょうか?
わたしが自分が運営する施設で防災対策を進めているのも、パラスポーツを活用したイベントを行うようになったのも、久喜市議会議員として防災に真剣に取り組んでいるのも、このような出来事があったからなのです。
そんなことを考えながら、防災の日である9月1日に生まれてくれた長男の誕生日を祝いました。
この投稿の最後になりますが、広報くきの9月号は防災特集となっておりますので、久喜市民の方は、ぜひ目を通していただけましたら幸いです。