八ッ場ダムと渡瀬遊水地が久喜市に果たす役割とは?
先日、利根川栗橋流域水防事務組合にて、八ッ場ダムや渡瀬遊水地を訪問し、利根川流域の治水・利水事業について学んできました。
※利根川流域のダムは全部で9個ありますが、その中でも当組合にとって特に重要だと思われる2つのダムを現地視察しています。
以下、学んだことを簡単に報告させていただきます。
八ッ場ダムも渡瀬遊水地も、とくに洪水調整、水源の安定供給の機能を備え、関東地方全体の防災・生活に大きな役割を果たしています。
※八ッ場ダムは水力発電機能も備えています。
令和元年の台風19号の際には、試験湛水中でほぼ空っぽだった八ッ場ダムは1日で約7500万m3の水を貯留したそうで、この貯留量は利根川の高水基準点であり、利根川の河川管理上における治水の基準地点である八斗島付近の水位を1m低下させた計算になるそうです。また渡瀬遊水地は合計で1.6億m3の貯留が可能で、令和元年の台風19号の際には、利根川と渡瀬川合流地点であり利水基準点でもある栗橋付近の水位を1.6m低下させた効果があったとのことです。
今回の研修では、八ッ場ダムや渡瀬遊水地がもたらす利根川流域治水への影響力の大きさを確認するとともに、治水と相反する利水(水道水、農業用水、工業用水)に関しても、自然を相手にした高度な日常運用があること、それらの水が利根川流域内外の3200万もの人に届いていることを知ることができました。さらに、これらのダム建設に伴う地域住民への支援策や環境保護への配慮も確認し、長期的な地域振興の取り組みを学ぶことができました。
なお、わたしの住む久喜市はカスリン台風による被害や、東日本大震災での液状化現象による住宅被害があったこと、関東平野で米を中心に農家の方々が多くいることから、「この地域の政治課題はなんと言っても治水・利水」とよく言われます。江戸時代に徳川家康が行った利根川東遷事業にはじまった、首都機能を守り、流域の人々の生活と財産を守るために脈々と受け継がれてきた水との戦いの歴史がこの地域にはあります。そしてそれはダムや水路の開発をはじめとするハードへの投資だけでなく、ハードを活用する人たちによる日々の運用があってこそ成り立つもの。
水との共存、水との戦いがあったからこそ、流域の農業や工業が発展し、住環境が整備されてきたということ、そしてそれは気候変動の中で、対応し続けていくことが次世代への贈り物になるということを皆さんに伝えつつ、そのために今後どのような社会づくりが必要なのか、どんな政策が必要なのか、そのためにはどのような人材が必要なのかを、地方議員という今の自分の立場で考え、発信し、自らも実践していきたいと思います。