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「東京の公共トイレを、立ち寄りたくない場所から、一度は入ってみたい場所へと変えた」

渋谷区では、日本財団の支援の元で、渋谷区が運営している「The Tokyo Toilet」というプロジェクトがあります。

https://tokyotoilet.jp

世界で活躍する16人のクリエイターたちが参画し、渋谷区の17カ所の公共トイレが生まれ変わりました。そのいずれも個性豊かでデザインコンセプトがしっかりと言語化されてホームページなどで発信されています。

このようなプロジェクトの発信が街のイメージを変え、そしてトイレを綺麗に使う意識が生まれたり、清掃してくれる人に感謝する心が芽生えたりして、公共精神の醸成が図られていく……。

デザインって、直接的な経済効果はなくても、間接的には測りしれない効果があるんですよね。それを数値化しづらいのが悩ましいところですが……。

ちなみにこの「The Tokyo Toilet」は、日本財団HEROsでお世話になった方が進めていたもので、このプロジェクトを身近に感じ、そして素晴らしさを改めて感じています。

さて、いま久喜市では、新ゴミ処理場の建設が進んでいるのですが、市議会では、ゴミ焼却場のデザインが「ムダではないか」という問題提起があり、私も日々考えさせられているところです。

もちろん、今の久喜市は財政的にも余裕があるわけではありませんので、「ムダじゃないか」という意見や問題提起が出るのは当然です。しかし、この「The Tokyo Toilet」をみていても、また少し前に投稿した日比谷公園を見ていても感じるのは、デザインって、私たちの暮らしを豊かにしてくれるものだし、造形物と人々の暮らしとの調和を図ってくれるもの、そして行動変容を促してくれるものでもあります。つまりは長くそこに根付いていくために必要不可欠なものだということ。ましてやゴミ処理場という、必要不可欠でありながら迷惑施設のためになかなか地域には受け入れてもらえない建築物に対して、デザインのチカラを活用するのは、手法としては決して間違っていないと思うんです。

ちなみに、いま久喜市でのデザインがムダかどうかという議論の中で「光る煙突のような装飾は本当に必要なのか?」という問いがあります。もちろんそこだけ問われれば、ムダだと感じる人がほとんどだとおもいます。しかし、地元に受け入れてもらうためにデザインの力を頼った設計をしたという背景があるのも事実です。だから、デザインをまったくの悪とする論調に流されるのではなく、そのデザインが必要以上に高いか安いかという議論を深めていくべきだと思っています。

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