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政治の世界に入り、これまで以上に「合議」の難しさを感じています。

議会では、一つ一つの議案に対して、それぞれの議員がそれぞれの立場から評価をします。一つの政策をとっても賛否があって然るべきですが、自分の意見と違う意見に対しては「なぜ、そう考えるんだろう」「その考えは違うんじゃないか」と相手に対して疑問を持ってしまうのです。

自分自身の未熟さによるところも大きいと感じていたのですが、パラリンピアンで視覚障害者柔道の銀メダリストの廣瀬誠さんのSNSの投稿が、まるでいまの久喜市議会の中の様子を見ているかのような内容だったので、紹介させていただきます。

物事を決めていくこと
集団の中で合意を形成し、物事を決めていくことは難しいですね。
よいものと悪い物なら簡単だけど、たいていの場合はベターとベターの中からよりベターを選ぶみたいな感じです。
それもいろいろな立場の人がいればその優先順位もそれぞれ違うわけです。
様々な価値観があり、利益が相反する集団でばなおさらです。
建設的な批判や問題提起は話し合いの中では重要だし、大切にすべきです。
満場一致は危険だし気持ち悪いですね。
でも、時々、批判のための批判をしたり、他人事のように批評家になっている人がいます。
批判するだけなら簡単です。ベストな答えはほとんどの場合、ないからです。
肯定する材料も批判する材料もいくらでもあるからです。
責任はどうとるんだであるとか、そんな決断をして無責任だということを言う人もいます。
そんな人には、本当に無責任なのは誰なのかと言いたいですね。
理念や理想を持つのは非常に大事ですが、限られた条件の中で現実的に不可能なことで批判するのはマナー違反な感じを否めません。
限られた条件の中で決断し、進んでいかねばならないこともあるからです。
そこで決まったことは組織の一員であるその人の責任でもあります。
即ち、構成メンバーである人がその組織の批判をするのは自分に駄目出ししているようなものです。
そういう観点に立てば、もっと違う言い方や、やり方があるんじゃないかと思います。
話し合いが終わった後で「あれはよくない」というのもずるいですね。
最終決断者はある程度の批判は甘んじて受ける覚悟で物事を進めていかなければなりません。
それはとても勇気がいるし、孤独な作業でもあります。
そのことにたいする立場やそのひとの中の優先順位や時間のかけ方でみんな立っている土俵が少しずつ違う場合がほとんどです。
物事をきめていくのは難しいですね。
自分自身にも耳の痛い話です。(苦笑)
自戒と反省の意味も込めつつ、そんなことを感じた今日この頃でした。
でも、別に落ち込んだり、へこんだり、憤ったりしているわけではありません。(笑)
こういう経験ができたり、考えたりできることはとてもありがたいことです。
まだまだ道半ばです。
「一度きりの人生どうせだったら楽しもう」ですね。   (廣瀬誠氏のFACEBOOKの投稿より)

久喜市をより良い街にしていくために、どんな立場で、どんな政策を進めていきたいか。安全な立場から他人事のように批判しているくらいなら、自分の意見や行動を正しいものにしようと証明するために行動する人でありたい。議員としての今後の指針にもなるような素敵な投稿でした。

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