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新ごみ処理場建設の背景にある過去の経緯

久喜市では現在、老朽化が進んでいる3か所のごみ処理施設を統合し、新たな施設を1か所に建設する事業が進められています。ごみ処理施設の一般的な耐用年数は30~35年とされる中、現在稼働中の3施設はすべて35年を超えており、特に「久喜宮代清掃センター」は築50年と老朽化が深刻です。このため、市としても安全性や効率性、さらには環境への配慮や地域住民への負担軽減を考慮した新施設の建設が急務とされてきました。

久喜市では平成8年から新ごみ処理施設の検討が始まり、建設地についてもさまざまな候補地で調整が行われてきたと聞いています。そして25年以上の議論を経て、ようやく菖蒲地区が受け入れを表明してくれ、公園整備や周辺環境への配慮などを条件に建設が進められることとなりました。

このような過去からの経緯があることを大前提としつつも、新施設の建設には市内外から多くの意見が寄せられています。議会でも、ほとんどの議員が「新たな処理施設の必要性」には同意している一方、具体的な設計や費用、附帯設備の内容については賛否が分かれています。

議決結果と私の立場

私は令和4年9月定例市議会における議案第69号「新ごみ処理施設整備工事請負契約」に賛成しました。以下の画像は、この議案に対する各議員の賛否を示したものです。

この議案には7名の議員が反対しておりますが、それぞれの考え方やスタンスの違いは尊重されるべきであり、この投稿は、意見の違いを否定する意図で書くものではありません。

とはいえ、近年、メディアの偏重報道の影響もあってか、市民の間で「反対意見=正義」「賛成=悪」といった空気が醸成されていることには強い違和感を持っています。議論には多様な視点があるはずであり、私自身が久喜市の未来を見据えて取った賛成の立場についても、明確に自分なりの正義があります。そのことを市民の皆さまにお伝えしたいと考え、今回このように整理して発信することにしました。

新ごみ処理施設のおける選挙出馬時の公約

私は令和4年4月に行われた市議選に出馬した際に「スケジュールの遅延によるコスト増を防ぎつつ、リサイクル推進を通じた資源循環型社会の構築を目指す」という公約に掲げました。400億円を超えるこの超大型事業においては、スケジュールの遅延は莫大なコスト増を生むさまざまなリスクがあります(リスクの詳細は後述します)。このため、最優先すべきは「計画通りに進めること」だとわたしは考えています。

現時点で、これだけの超大型プロジェクトでありながらも、事業は予定通りに進んでおり、この点については、市の担当者や事業者の努力に対して敬意を表するとともに、今後も着実に事業を進めていくことを最優先すべきだという考えに変わりはなく、これがわたしの新ごみ処理場の建設における基本スタンスです。

賑わい施設が「ムダ」は本当か?

市民の皆さんからは「光る煙突」「屋上庭園」「ランニングコース」などの附帯設備について、「ムダではないか」という意見を多くいただきます。確かに、これまでのごみ処理場のイメージからすると、そのような施設・機能の必要性に疑問を感じる方も多いことと思います。

仮に、これらの附帯設備を削減し、スケジュールを守りつつコスト削減することが可能なのであれば、そうすべきでしょう。しかし、久喜市は公募型プロポーザル方式を採用して事業者選定を行っていることから、そのような対応は難しいとわたしは考えています。

公募型プロポーザル方式の入札においては、事業者は自らの提案を、自らの責任において実施することになっており、久喜市もその前提で、価格はもとより、機能面や安全面、デザイン面などを総合的に評価して事業者を選定したという経緯があるのです。

つまり、当然のことながら、久喜市は「見た目重視」「デザイン重視」で事業者を決めたわけではなく、専門家で構成された「久喜市PFI等審査委員会」による評価に基づき、最も優れた提案が採用された結果、デザイン性や地域環境との調和にも優れた計画が進められることになったのです。

また、今回の競争入札において、建設費の上限(予定価格)は541億円と設定されており、その内訳は機能ごとに費用が算出され、議員に対しても事前に説明会が開催されていたそうです。もし「費用が高すぎる」「ムダをなくすべき」といった議論をするのであれば、事業者が決まった後ではなく、事業者が決定する前の段階、つまり541億円の内訳の説明を受けた段階で指摘し、そして要求水準書の見直しを行った上で、事業者選定を行うべきだったのではないかと考えています。

このような理由から、事後の批判が広がることによって、事業を推し進めている人たちの士気をさげ、計画通りに進んでいる事業に混乱を招かなければいいなと危惧しています。

なお、賑わいの要素はある程度は必要ですが、これは程度の問題でもあり、「賑わいにかける費用が高すぎるのではないか」という意見も確かにあります。過去の議会では、賑わい部分が25億円かかっているという答弁がありました。当初の建設費用276.7億円のうちの約10%と考えると、妥当性はあるようにも感じますが、とはいえ25億円という莫大な費用です。25億円の内訳やその妥当性については、わたしももう少し検証してみたいと思っています。

提案内容の経緯と構成

とはいえ、久喜市が令和3年6月4日に公示した「要求水準書」には、安全性・環境配慮・市民参画・地域調和の4つの視点から具体的な条件が明記されていました。つまり、今回の入札では、当初から環境学習や地域防災の拠点としての役割、賑わいにあたる要件はすでに記載されていました。

例えば、今回のごみ処理場の批判の象徴の一つとなっている煙突は、「光る煙突」などとメディア等で揶揄されていますが、このデザイン性に注目が集まる「幕煙突」も事業者から提案されたものです。しかも、軽量・高耐久・メンテナンス性に優れた新技術として「次世代煙突」として注目されているもので、豪華な見た目にこだわって採用したものではありません。屋上庭園についても、積極的に周辺環境との調和を求めることが要求水準書に記載されていたものです。

にも関わらず、事業者が決定した後になって「賑わい要素を削って安くできないか」という意見が出ることにも、疑問を感じています。公募型プロポーザル方式では選定後に大幅な変更を行うことは困難です。前述の通り、要求水準書に基づいて、提案した事業者が自らの責任において、その提案を実現するということがルールだからです。もし仮に久喜市が賑わい要素を削って安くする方針をとるとした場合、入札のやり直しが必要になったり、スケジュールの大幅遅延、さらには事業者の撤退による入札不調といった重大なリスクを伴うことになるのです。

もちろん、「指名競争入札」や「一般競争入札」によって事業者を募集したのであれば、賑わい要素を削減して事業を進めるという選択肢もあり得たかもしれません(ただし、スケジュール遅延がもたらすコスト増のデメリットが大きすぎるとは思います)が、久喜市が選択した事業者選定の方針に基づいて、適切なプロセスを経て実行段階を踏んでいる事業については、当時の執行部や議会の判断、そして実際に落札した事業者の立場を理解し、現実的かつ最適な形で進めていくべきだというのがわたしの考えです。

事業費の妥当性

また、市民の中には、「ごみ処理場の建設費用が高すぎるのではないか」という指摘があります。一般的に、ごみ処理施設の建設には多額の費用がかかりますが、それが“高すぎる”かどうかは、比較と根拠に基づく適切な評価が必要です。以前も議会で説明がありましたが、先日、改めて担当課の元を訪問し、再度、事業費の妥当性を確認してきました。

久喜市の施設は、1日あたり155トンのごみ処理能力を持ち、当初の建設費は276.7億円。その後の物価スライドにより312.7億円となりました。これを処理能力あたりで比較すると、約2億円/トンであり、この単価水準は、他自治体と比べてもほぼ同等の水準と言え、その妥当性を感じることはできました。

また、PFI方式の導入によって、民間の資金やノウハウが活用され、将来的な維持管理費の最適化や市の財政負担の平準化も期待されていますが、現在のごみ処理費用と、施設稼働後のゴミ処理費用の比較数値も入手し、この事業がどれだけの効果を生み出すのかを確認しました。

現在稼働している3つのゴミ処理場では、年間29億円のゴミ処理費が発生しています。しかし、新施設が稼働すると、ゴミ処理費用は年間15億円に抑えることができ、年間で約14億円の削減効果が見込めることになっているとのことです。

つまり、ごみ処理場の建設が1年遅れれば、14億円もの削減効果が見込めなくなってしまいます。また物価上昇の影響をさらに受けることにもなり、さらには久喜市への信頼感を損ねた事業者が撤退して入札不調となるなどによって、結果的に膨大なコスト増を招くことになるリスクがあるわけです。このようなことからも、スケジュールを最優先して事業を推進することの正当性を理解していただけるのではないでしょうか。

結びに 〜フェアな議論を求めて〜

議会やメディアにおいて「光る煙突」「豪華な附帯施設」といった一部の要素のみが取り上げられ、まるで事業全体が無駄遣いであるかのような印象が広がっています。こうした報道や議論は、市民の不安を必要以上に煽ると同時に、事業の正当性や事業に関わる人々の努力を過小評価することに繋がりかねません。

もちろん、わたしが書いた意見がすべてではありませんが、ぜひ新ごみ処理場の建設に対して、ネガティブな印象を持っている多くの方にもこの記事を読んでいただき、違った視点での事業評価があることも知ってほしいと思います。

もちろん、久喜市で行われているすべての事業の原資は税金ですので、厳しい視線でチェックされるべきであり、フェアさの欠如はともかく、批判的な意見が出ることは、悪いことではありません。しかし、市民の皆様には、批判的な意見だけを鵜呑みにせず、正確かつ多様な情報に基づいて、事業を評価していただけることを切に願っております。

新ごみ処理場は、久喜市が今後数十年にわたって使用する公共インフラです。スケジュール通りに進めること、市民に開かれた施設としての役割を果たすこと、そして持続可能な社会の構築に資すること。この3点を軸に、私は今回の事業に賛成しました。

最後に、わたしが尊敬しているパラリンピアンの廣瀬誠さんが、2022年3月31日にFacebookに投稿した文章をご紹介させていただきます。

物事を決めていくこと

集団の中で合意を形成し、物事を決めていくことは難しいですね。

よいものと悪い物なら簡単だけど、たいていの場合はベターとベターの中からよりベターを選ぶみたいな感じです。

それもいろいろな立場の人がいればその優先順位もそれぞれ違うわけです。

様々な価値観があり、利益が相反する集団でばなおさらです。

建設的な批判や問題提起は話し合いの中では重要だし、大切にすべきです。

満場一致は危険だし気持ち悪いですね。

でも、時々、批判のための批判をしたり、他人事のように批評家になっている人がいます。

批判するだけなら簡単です。ベストな答えはほとんどの場合、ないからです。

肯定する材料も批判する材料もいくらでもあるからです。

責任はどうとるんだであるとか、そんな決断をして無責任だということを言う人もいます。

そんな人には、本当に無責任なのは誰なのかと言いたいですね。

理念や理想を持つのは非常に大事ですが、限られた条件の中で現実的に不可能なことで批判するのはマナー違反な感じを否めません。

限られた条件の中で決断し、進んでいかねばならないこともあるからです。

そこで決まったことは組織の一員であるその人の責任でもあります。

即ち、構成メンバーである人がその組織の批判をするのは自分に駄目出ししているようなものです。

そういう観点に立てば、もっと違う言い方や、やり方があるんじゃないかと思います。

話し合いが終わった後で「あれはよくない」というのもずるいですね。

最終決断者はある程度の批判は甘んじて受ける覚悟で物事を進めていかなければなりません。

それはとても勇気がいるし、孤独な作業でもあります。

そのことにたいする立場やそのひとの中の優先順位や時間のかけ方でみんな立っている土俵が少しずつ違う場合がほとんどです。

物事をきめていくのは難しいですね。

自分自身にも耳の痛い話です。(苦笑)

自戒と反省の意味も込めつつ、そんなことを感じた今日この頃でした。

廣瀬誠さんの記事にもあるように、わたしも葛藤を繰り返しながら、議員活動を行っています。今後も批判や疑問、異なる意見にも真摯に耳を傾けつつ、丁寧な説明と情報公開を重ね、市民の皆さまと共により良いまちづくりを進めていきたいと考えています。

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