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会社員時代、私はいくつものプロジェクト・事業に関わらせていただきながら、多くの議論に向き合ってきました。会社という組織は、営利追求という明確な目的のもと、「どれが一番成果につながるか」という判断基準で動いており、正解が比較的はっきりしている世界でした。

しかし、2022年に議会に入り、政治の現場に立って思い知らされたことがあります。それは、市民の皆さんは、性別も年代も、生まれ育った環境も、価値観も、置かれている立場もさまざまで、どんな政策にも「すべての人にとっての正解」は存在しない、という現実でした。

議案審議では、立場によって判断基準が大きく変わります。総論では賛成でも、各論では反対が生まれ、議論が止まってしまう場面にも、何度も直面してきました。賛成にも反対にもそれぞれの正義があり、そこには政治的な立場の違いと、人としての感情が重なり合っています。それが、政治の現場の現実だと感じています。

市民の一言から考えたこと

少し前に、市民の方からこう言われました。

「いまの久喜市議会は、どうかしている」

私は悔しさを飲み込みながら、理由を伺いました。すると、「批判ばかりが先行し、無駄遣いや財政難といったネガティブなイメージだけが市民に植え付けられている。なんでこんなことになってるの?」という言葉が返ってきました。

確かに、久喜市の財政状況は厳しいです。この数年で、市債の残高は大きくなっています。しかしそれは、複数の老朽化したごみ処理場を統合するための新施設建設や、老朽化した学校施設の修繕など、市民の生活や、子どもたちの命・安全を最優先に考えた結果でもあります。そして、それらを「必要な事業」として議決してきたのも議会です。にもかかわらず、その結果として起きた財政状況だけを切り取って批判することは、決してフェアな批判だとは言えないでしょう。わたしは、「なんで不当な批判に対してしっかり説明できる人がいないのか」と言われたような気分になりました。

確かに「政治は結果」だと言われます。しかし政治の世界に入ってわたしが感じたことの一つは、政治は、結果だけで評価されるものではなく、背景やプロセスも含めて語られるべきものでなければならないということです。市政の課題に、簡単な正解はありません。どのテーマにも必ず相反する意見があり、それぞれに正しさがあります。だからこそ私は、理想と現実の間で、現実的な解を探し続けることを大切にし、そして自分の判断に対してしっかり説明できなければならないと感じています。

偏らず、逃げずに向き合い、現実的な選択肢を提示し続ける

理想だけを語るのは簡単ですが、それでは政治は前に進みません。だからといって現実だけを見る政治では、市民の皆さんに希望を示すことはできません。

私はこれまで、例えば次のようなテーマに向き合ってきました。

・公共施設を、スマートに縮減しながらも、市民活動が続く形をどうつくるか。
・新ごみ処理施設の建設を、賛成か反対かではなく、機能性・費用・事業プロセスのバランスでどう評価するか。
・行政手続きや業務を、どう効率化すべきか。
・新しい街づくりと、既存市街地の再生をどう進めるか。
・部活動を、子どもたちの機会を守りながら地域でどう支えるか。
・地域公共交通を、どのように再定義すべきか。

これらはすべて、答えが一つではない課題です。だからこそ、一時期の感情や立場に偏ることなく、理想と現実の両方を直視しながら、より良いバランスを探し、必要に応じて軌道修正を促しながら、市政を前に進める立場をとってきたつもりです。

久喜市をより良いものにしていくなら、対立を煽ることは得策ではありません。必要なのは久喜市民の皆さんにとって、信頼できる現実的な選択肢を示し続けることです。そのために、これからも多くの市民の方々と対話を重ね、さまざまな視点を自分の中に取り入れながら、誠実に判断し、そしてその根拠を情報発信していきたいと考えています。

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