市議会議員の仕事とは? -求められる資質とその土台となるもの-
市議会議員という仕事は、意外と知られていない
市議会議員という仕事を、具体的に説明できる方はどれほどいらっしゃるでしょうか。
確かに、外から見ると肩書きだけは分かりやすいかもしれません。「議会で市の政治のことを決めている人たち」――そんなイメージは、多くの方が持っているのではないでしょうか。
しかし実際には、その活動の中身は、あまり知られていないように感じます。実際、わたし自身も久喜市議会議員になる前は、その活動の中身どころか、どんな人がいるのかすら知りませんでした(笑)。もちろん、当時のわたしが政治に全く関心がなかったことがそもそもの問題でもあるのですが、ただ、政治に関心がある人であっても、「学校の入学式や卒業式、成人式などで来賓として会場に来ているのを見かけるくらいで、日常の中で何をしているのか、どんな思いで活動しているのかまでは、ほとんど伝わってこない」というのが現実です。
そこで、ここからは、自分が市議会議員という立場になってみてわかった、市議会議員の仕事や活動内容、求められる資質とその土台となるものについて、自分なりの考えを書いてみたいと思います。
市議会議員の仕事の土台となるもの
市議会議員は、単に「選挙で当選すればなれる職業」で良いはずはありません。その地域に暮らし、その地域の空気や歴史、人の思いを肌で感じながら、「この街を良くしたい」という想いを土台に活動する仕事です。どこに住んでいるか、どれだけその街と向き合ってきたかは、議員としての姿勢そのものに表れます。
市議会議員の居住実態(被選挙権要件)は公職選挙法で「選挙の期日前3ヶ月以上、その市区町村に継続して住所を有すること」と定められていますが、3ヶ月前に住んでいたらそれで良いとは、わたしは思いません。地域のことをジブンゴトにしできるかどうかは、市議会議員としての仕事の質にも関わる重要な問題だからです。ビートルズの「愛こそすべて」という曲がありますが、市議会議員という仕事のベースにあるのは、「地元愛」「地域愛」だとわたしは考えています。
ちなみにわたしは、約20年前に仕事と子育てを両立できると考えて、久喜市に居を構えました。2022年の久喜市議会議員一般選挙に出馬する際にも、長く久喜市に住んできて、「地元を良くしたい」という強い想いを持って選挙に出馬しました。しかし、地域の方とお話をしていると「うちは江戸時代から代々この場所に住んでるんだ」「この街を頼むよ」と言われたんです。時に、ハッとさせられました。わたしは一生、この久喜市で暮らすことを決めていますが、それこそ江戸時代から先祖代々この土地で根を張ってきたような人たちの地域への想いを理解しなければ、本当の意味で市議会議員としてこの街に向き合うことはできない――そう強く感じた瞬間でした。
もちろん、長く住んでいるかどうかだけが全てではありません。しかし、地域に暮らし、日常の中で喜びや不安を共有し、この街の歴史や人の想いに敬意を払いながら向き合う姿勢がなければ、市民の代表として語る資格はないと、私は思っています。
だからこそ、市議会議員という仕事の土台には、制度や肩書き以前に、「この街が好きだ」「この街を良くしたい」という、極めてシンプルで誠実な地域愛が必要なのだと、改めて実感しています。
市議会議員の仕事は、議会だけではない
さて、本題に入ります。市議会議員の仕事は議会で質問や討論をすることだけではありません。地域を歩き、市民の声を聞き、現場を確認し、行政とやり取りを重ね、資料を読み込み、政策を考え、議会で提案し、また地域に戻って説明をする。その積み重ねが、日々の仕事です。特に議会の合間の期間は、議員によって活動量に差が出てきます。議会の報告書を作成し、地域を歩きながら報告書を配布したり、市民相談を受けて現場を確認したり、次の議会に向けた準備をしたり・・・。国や県の動向、さらには他市の先行事例なども調査・研究し、いかに自分たちが暮らす街の政治に活かすかを考え、まとめていると、いつの間にか深夜になっていることも決して珍しくありません。
しかも、地域が抱えている課題は複雑なものばかりです。簡単に答えの出る問題はほとんどありません。市民の皆さんの声は多様で、ときに相反します。どちらかを選べば、どちらかが納得できない――そんな場面の連続。その中で、逃げずに考え、悩み、責任を持って判断し続ける。それが市議会議員という仕事の難しさであり、責任の重さでもあります。
だからこそ、市議会議員は「どこから来たか」ではなく、「この地域にどれだけ根を張り、この街の未来を自分事として考えているか」が問われる仕事だと、私は思います。地域に住み、地域の喜びも不安も共にしながら、この街を良くしたいという覚悟がなければ、本当の意味で市民の代表にはなれないのです。
市議会議員はおいしい仕事なのか?
最近、「市議会議員はおいしい仕事だ」「何もしなくても報酬がもらえる」といった、極端で軽い言い回しを目にすることがあります。中には、そのような認識を前提にした書籍や発信も見受けられますが、わたしはその表現には違和感を覚えています。
確かに、議会で居眠りをする議員、スマホでゲームをしている議員、一般質問すら行わない議員など、その姿勢を疑うような人が一定数存在することは事実です。その現実を否定するつもりはありません。だからこそ、市民がしっかりと議員の活動を見極め、そのような姿勢の人を選ばないことは、民主主義において当然であり、極めて重要なことだと思います。
しかし、それと同時に、「一部の例」だけを切り取り、市議会議員という仕事そのものを、何もしなくてもよい職業であるかのように語られ、そのような認識のまま政治の世界に入ろうとする人が増えたとしたらどうなるでしょうか。ルックスや話題性、イメージだけで当選してしまうような選挙が当たり前になってしまえば、市政の質そのものが下がってしまいます。そしてその影響を受けるのは、ほかならぬ市民自身です。
誰でも彼でもが軽い気持ちで立候補し、深く考えずに選ばれてしまうような地方議会ではその地域の未来はありません。市民一人ひとりが、「この人は何を考え、何を背負い、どんな覚悟でこの街に向き合っているのか」をきちんと問う選挙にしていかなければならないのです。
市議会議員が「おいしいか、おいしくないか」などという表現で語られること自体が残念でなりません。市議会議員とは、責任と覚悟を引き受ける仕事であり、その重さを理解した人こそが担うべき役割だと私は考えています。
求められるのは自ら考え行動する力
最近では、「市議会議員はおいしい仕事だ」と言う人もいるようですが、わたしは疑問です。市議会議員は「なって終わり」の仕事ではありません。むしろ、そこからがスタートです。
議員になった瞬間から、誰かに答えを教えてもらえるわけでも、進むべき道が示されるわけでもありません。だからこそ、市議会議員には常に、自ら考え、判断し、行動する力が求められます。
・自分はどんな議員でありたいのか。
・何のためにこの立場にいるのか。
・誰の声を、どのように市政に届けたいのか。
・この街を、どのような姿にしていきたいのか。
こうした問いを、自分自身に投げかけ続けることが、市議会議員の仕事の出発点です。この問いの根底に、「この地域が好きだ」「この街を良くしたい」という思いがなければ、議員の仕事は続きません。もし、こうした問いを持たずにこの世界に入れば、日々の活動は単なる作業になり、やがて「こなすだけ」の存在になってしまうでしょう。
しかも、厄介なことに、市議会議員のあり方そのものには、マニュアルも正解もありません。指示待ちの仕事ではないため、自分で考え、動き、失敗し、修正しながら進んでいくしかないのが現実です。だからこそ、自ら考え行動する力がなければ、そもそも何をすればよいのか分からなくなってしまうことさえあります。だからこそ私は、市議会議員という仕事は、それなりに社会で経験を積み、地域と向き合ってきた人が担うべき仕事だと考えています。
ちなみに、議員にもさまざまな特徴があります。市政の監視が得意な議員もいれば、政策提案が得意な議員もいる。目立たずとも調整役に徹する議員もいます。現場重視の議員もいれば、制度重視の議員もいます。どれも大切な役割です。
しかし共通して言えるのは、「この地域のために、誰のために、何をすべきなのか」という問いを持ち続け、それを行動に変えられなければ、市民から信頼される存在にはなれないということです。
市議会議員という仕事は、その地域の未来に責任を持つ役割です。時に孤独で、誤解され、報われないこともあります。それでもなお、その責任を引き受け続ける覚悟が求められます。
そして、市議会議員のあるべき姿に完成形はありません。迷い、失敗し、学びながら、少しずつ自分の中で形づくっていくもの。
常に未完成であり、常に働き続け、走り続けなければならないのが市議会議員という仕事です。
市議会議員とは、地域と共に生き、地域の未来に責任を持ち続ける「生き方」そのものだと、私は考えています。
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