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久喜市でも、市長選挙・市議会議員選挙が近づき、市内で政治活動を行う人の姿を目にする機会が増えてきました。

近年の選挙を見ていると、本来あるべき「政策を選ぶ行為」よりも、「誰が目立つか」「誰が印象に残るか」が、以前にも増して前面に出ているように感じます。

選挙が、いつの間にか推し活や人気投票のように捉えられ、ファンマーケティングを巧みに取り入れたパフォーマンス型の候補者が支持を集め、当選する――そんな時代になりつつあります。

もちろん、有権者に分かりやすく伝える工夫や、政治に関心を持ってもらう努力そのものを否定するつもりはありません。しかし、過度な演出やキャラクター性が評価の軸となり、政策の中身や実行力、地域課題への理解が二の次にされるとすれば、それは民主主義にとって健全な選挙のあり方とは言えません。

そして同時に、ここで問われるべきなのは、有権者の姿勢だけではありません。
政治家側が、日頃から政策を丁寧に語り、議会で何をしているのか、地域でどのような活動をしているのか、そして地域をどうしたいのかという想いを、継続的に発信してきたのか――その姿勢もまた、厳しく問われるべきです。

政治家が政策を語らず、実績や課題への向き合い方を示さず、日常の活動も見えないままであれば、市民が判断材料を持てないのは当然のことです。市民が「誰を選ぶべきか分からない」と感じる状況は、市民の側だけの問題ではなく、政治家側の発信不足、説明不足が生み出している側面も大きいと感じています。

実際に、選挙後にこんな声を耳にすることがあります。

「若くて元気があるので期待して投票したけれど、結局、議員らしいことは何一つしていない」。

当選がゴールになり、その後の議会活動や政策提案、そして地道な調査や調整といった“見えにくい仕事”を十分に果たしていないと感じている有権者が少なからず存在するのも事実でしょう。

政治はエンターテインメントではありません。一時の盛り上がりだけで選ばれた人が、10年後、20年後の地域の財政、インフラ、福祉、教育、健康といった、私たちの生活に直結する課題に責任を持てるのか。選挙で問われるべきなのは、「誰が面白いか」ではなく、「誰が地域の未来を託すに値するか」という視点です。

そのためには、政治家は政策と行動をもって説明責任を果たし続ける必要があります。そして市民は、その情報をもとに、主体的に考え、選択していく必要があります。どちらか一方だけでは、健全な選挙は成り立ちません。

私たち有権者もまた、無意識のうちに「分かりやすさ」や「好感度」に流されていないか、立ち止まって考える必要があります。

・派手な言葉の裏に、具体的な道筋が示されているのか。
・都合の良い話ばかりではなく、厳しい現実にも向き合っているのか。
・その人は、当選後も地道に仕事を続ける覚悟があるのか。

こうした問いを、一人ひとりが自らに投げかけること。そして、政治家側もまた、その問いに正面から答え続けること。その積み重ねこそが、選挙の質を高めていくのだと思います。

選挙は、推すためのイベントではなく、未来を選ぶ行為です。地域のこれからを誰に託すのか。その重みを、市民と政治家の双方が改めて共有し、取り戻していく必要があるのではないでしょうか。

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